キーボード「カタカkタkタkタカアタッカtッタアアアアアアンン」人の前の席で授業を受けたときの話
ワタシはカエルという生き物がキーボードを「カタカタカタkタkタアカカカカtッタタアーーーン」する人間の次に好きではない。
けれども、世間が休みを謳歌している月曜日(祝日)の早朝に、大学生協に何十万も払って買わされた大して性能がいいわけでもない質量だけがやたらとS級であるノートパソコンが入っていそうなリュックを背負って、電車のつり革に背伸びして掴まっているアフリカツメガエル似の女子大生を見たことはあるだろうか。
残念ながらそれはワタシである可能性が非常に高い。
そしてその女子大生は女性向け乙女ゲーム風パズルゲームをやっている可能性が極めて高い。
さて、吊革に体重を預けて足の負担を和らげる努力をしてまで、価格と質量だけなら偏差値178975419465498であるノートパソコンを持ち歩かなければならないのにはワケがある。
アフリカツメガエルの水かきみたいな顔をした大学講師が
「プレゼンは各自ノートパソコンかタブレットを使ってやってね」
などと言ったからである。
なんということだ。
イマドキの大学生は持ち運びができる電子機器を持ち合わせていることが授業を受ける大前提だというのだ。
幸いにも自分はノートパソコンを持っていたものの、如何せん質量偏差値178975419465498の代物だ。持ち運びできるぎりぎりのラインであるしできれば持ち運びたくない。
よりにもよって今日は祝日の月曜日だ。
世間が「今日はおやすみいいいいなのほhんほhんほhn」とアフリカツメガエルみたいな笑顔を振りまいている祝日の月曜日にだ。
目の前には座席に仲良く腰掛けているカップルがいるというのもいったいどういう運だろうか。
こいつらは水族館にでも行ってアフリカツメガエルを見てアフリカツメガエルみたいな顔になってしまえばいいのだ。
ノートパソコンの入っているリュックを背負いスマホを片手に、さながら薪を背負いながら本を読む二宮金次郎のようなスタイルでかろうじて教室までたどりつくと、前方の席に腰を下ろす。
前方の席に座っている学生=意識が高い
という式は非常に論理性に欠ける根拠のないイメージである。
なぜなら私がまさに「前方の席に座っている学生≠意識が高い」学生の一例であるからだ。
後方の席には「先生の目になるべく入らないところで適当に授業をやり過ごしたい」という学生で溢れかえり人口密度がまるでGWの上野動物園のパンダコーナーのごとく高まるからだ。
ワタシもアフリカツメガエルよりもパンダのほうが178471419457846327348倍好きである。
けれども同時に人が多い空間がアフリカツメガエルのいる空間よりも苦手なのである。
ゆえに前方の席に腰かけたわけなのだが、ちょうどその私の後ろの席に一人の学生が腰かけた気配がした。
こんな前の席に座るなんてきっと意識が高い学生に違いない。
そしてそんな前の席に座る意識が高い学生は例外なくタイピングをするときにまるで親の仇のように指をエンターキーにたたきつけるのだ。
「カタカタkタktカtカtカktktカkタヒアグイtッタッタッタアアアアアアン!!!!!!!!!!!!」
やはりである。
その学生もエンターキーに親を殺されたといわんばかりに執拗に指を叩き付けている。
「カtカtカtカkタktカtカヒアtジャgタウイファウアウヴアイbvッイvtッタアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンン!!!!!!!!!!!」
彼のキーボードでただ一人、エンターキーが迫害を受けているのだ。
なんと嘆かわしいことだろう。かのキリストも説いたように人は万人に愛を注ぐべきであるのにだ。
「カtkkタtktカタアアタアアアアアアアアアアアアアアアンンンン!!!!!!!!」
(タアアタアアアアアアアアアアアアアアアンンンン!!!!!!!!)
(アアンンンン!!!!!!!!)
(!!!!)
アフリカツメガエルの水かきのような顔の大学教授が本日の授業の流れについて説明している最中も、後ろの学生がエンターキーを迫害し続ける音が教室に響き渡っていた。
(続く)